アパレルスタッフの頭の中。膨大な試行錯誤から体得する「センス」を言語化する。

アパレルスタッフが洋服の組み合わせを考えるとき、どういうプロセスを経て「合う・合わない」を判断してるのか気になったことはありませんか??

 

おそらく気にしたことなんかないという人がほとんどだと思います。

「なら、何で聞いたんだよ!」と思うかもしれませんが、一度このプロセスに関して注意を向けてもらいたかったからです。

 

そもそも気にする以前に、その疑問が安易に「センス」の問題として片づけられるのは、おしゃれはセンスだという考えが根底にあり、考える間もなくその疑問がゴミ箱行きになるからだと思います。これまでそれを言語化されることが無かったということでしょう。みんながみんなセンスの問題だと思っている。今回はこの問題にに一石投じたいと思います。

 

もちろん、全てを言語化することは無理です。
でも、おしゃれな人たちが膨大な試行錯誤を経てたどり着く感覚のひとつを解き明かしたいと思います。おしゃれな人とおしゃれじゃない人は何が違うのか、分かってもらえると思います。

 

感覚のひとつではありますが、おしゃれな人がおしゃれな人たり得る思考プロセスだと考えています。

 

 

 

人間はまとめたがり。

 

「まとまり」は私の提唱している概念です。
だから、他のファッションブログでより詳しく解説してるところ無いかなーと思って探しても出てきませんからね。

 

このまとまりに関して根本から理解するには、
人間の性質にから考えなければなりません。

 

人間は同じようなものをまとめたがります。

 

同じ「ようなもの」をです。
厳密に言えば、全く同じ物はこの世に存在しないからです。上の画像の野菜にしても個体差があり、全く同じではありません。

 

いやいやそもそも同じ種類のものでしょ?
トマトとかキノコとか・・・。

 

種類は人間の都合によって、グルーピングされたものにすぎません。私たちはこの世界に生まれ落ちたその時から、既に同じようなものがまとめられたなかで生活しているので全く違和感を感じることなく、この事実を当たり前のように生きています。

「あれは?」
「ブーブーだよ。」

「これは?」
「これもブーブーだよ。」

 

では人間の都合とは何でしょう?

それは、まとまりを作ることで分かりやすくすることです。
コミュニケーションを簡単にすることです。

 

例えば、あなたがトマトの初めての発見者だとします。
もちろん、まだ名前はついていませんね?
だから、あなたは名前をつけようとします。

 

でも、まとまりを作る能力が無い場合、ひとつひとつの個体差(下手の形や傷や大きさなど)に応じてトマト、トマティ、トマティアン、トマスタス(笑)のような名前を果実ひとつひとつにつけなくてはなりません。それを全部まとめてトマトと呼ぶことが出来ないのです。

 

トマト側の気持ちからしたらたまったものではありません。
「おいおい俺のヘタこんなに生かしてるのに全部まとめてトマトって呼ぶなよ!」
「俺だって周りの奴よりデカいんだぞ!」

みたいな。笑

 

もちろんトマトは喋らないからひとつの比喩ですけど、人種に置き換えたらどうでしょう?

私たち日本人は判別できずに一口に白人と言ったりしますが、彼ら側からすれば「俺は(私は)オランダ人だ」「ロシア人だ」などと自分たちのアイデンティティを持っており、自覚しています。よく見てみるとオランダ人にはオランダ人の、ロシア人にはロシア人の大まかな傾向があったりします。それが分からず「白人だ」と、ひとまとめにすると、彼ら・彼女らのアイデンティティを傷つけることになります。

 

私たちも海外旅行に行って中国人だと間違えられたら、自尊心が傷つきませんか?
きっと訂正するはずです。

 

私たちも中国人や韓国人の大まかな傾向を把握し、「あの人は中国人。」「あの人は韓国人。」と細かく分類できるはずです。それは同じアジア人という枠の中にグルーピングされながらも、「わたしたちはこういう特徴があるから日本人なんですよ。」ということを、なんとなく分かっているんです。そりゃ日本で生活してたら、細かい部分の違いを認識できるのは当然ですね。

 

でも、外国人からしたら、アジア人をさらに日本人、中国人、韓国人と分けるのは簡単ではないのです。

私も海外ではよく中国人とか韓国人に間違えられましたよ。笑
逆に日本人と判断された方が少ないかも。

まぁ中国人は圧倒的に人口が多いですからね。外国人にしてみれば、中国人と言った方が打率が高いんでしょう。笑

 

このように人種においてもまとまりを作っています。
そうした方が把握しやすいからです。

 

でもトマトは、トマトとしてそれ以上分けなくても問題はないから、トマトでいいんです。(品種改良で細かい名称のついたトマトはありますけどね。)

 

私たち人間は、このまとまりを作る能力を当たり前のように使っています。むしろ、この能力があるからこそ、人間は生態系の頂点に立つことが出来たといっても過言ではありません。まとめられるからこそ、他の生物とは一線を画した高等生物なわけです。

 

他の動物は、まとまめることは出来ません。
たとえ犬語や猫語の翻訳機が出たとしても、このまとめる能力が無いので、会話を成り立たせるのは簡単ではありません。

 

「ごはん」と言われても「ドッグフード」と言われても「???」。「昨日の朝も昨日の夜も食べた、アレのことだよ。」と言われないと理解することが出来ないのです。「ごはん」や「ドッグフード」は抽象的過ぎるのです。

 

だから、生きているこの世界で同じものとして分類しているものは、人間が理解しやすいようにグルーピングしているにすぎません。グルーピングすると楽だからです。一個一個名前をつけずに全部ひっくるめて「トマト」みたいに呼ぶことが出来るからです。

 

一個一個名前を付けて判別するのは大変すぎるから、まとめるのです。

このまとめる能力が無かったとしたら恐ろしくないですか?

さっきのトマトの例で言えば、

「トマティアン取って。」
判別が難しすぎる。適当にとって渡すと・・

「それトマスタスだから。」
もう一度・・

「ちげーよ!それトマティだから。使えねーな」

 

みたいなことになりかねません。
(※本当は「それ」も使えません。)

 

 

人間が理解しやすいよう分類しているんです。
本当に些細な違い(少しの大きさの違いや傷など)は違いとしてカウントされずまとめられてしまうのです。だから、同じものとして分類されていても、これは人間の精神世界を投影した世界にすぎないのです。だから、宇宙のかなたから他の高等生命体がやってきて、トマトとキノコは同じだと言い出すかもしれません。(めちゃくちゃ極論ですけど)

 

なんだか精神世界というと、オカルトの香りがしてきますが全然違いますよ。

 

人間のフィルターを通してみた世界が私たちの見ている世界なのです。
当たり前ですけど。

 

大事なのは、予め世界がグルーピングしていたのではなくて、私たちが勝手にグルーピングしたということです。世界はただそこにあっただけです。

 

ここまで長々と説明したのは、人間がまとめたがる性質を持っているということを分かってもらいたかったからです。それも意識することなく実行してしまうほど、予め備わっている強力なシステムなのです。あなたはもしからしたら全く意識せずに使っていたかもしれません。でも、本当に凄いことをしているんですよ。

まとめれば理解が簡単になります。
コミュニケーションが容易になります。

 

そして、このまとめる能力のことを抽象化と言うのです。

だから、人間は見やすいと感じるものはまとまりのあるものだし、整理されていると感じるものはまとまっているものなのです。また、同じ色とか同じ字体とか共通点を見つけたとき、無意識にまとめようとするのです。

 

つまり抽象化とは共通点を抜き出すことなのです。
まとめる力とはいかに共通点を発見するかなのです。

 

 

 

 

あなたが考えている「まとまり」とは、おそらく違う。

 

この「まとまり」というのは、おそらくあなたが考えているより広い概念です。より抽象的と言った方がいいかな?なぜなら、共通点を抜き出すことでまとまりが生まれるからです。

 

これをもっと具体的に言えば、

要素の共有

です。

 

まとめたいもの同士の要素の共有が出来れば、まとまるのです。

 

例えば、魚の種類はアジやヒラメ、サンマ、マグロ・・・・など見た目も大きさも多種多様ですが、一括りにして呼ぶときは魚と呼びます。それは「エラ呼吸をしている、死んだら目が濁る・・・」など要素を共有しているからです。要素を共有しているからこそ、同じものとして分類できるのです。

 

ただ、デザインやファッションに関連付けてもうちょっと複雑な話をすると、いくら要素の共有が出来ているからと言っても、受け手に伝わらなければ、意味がありません。まとまりは生まれません。

だってデザインやファッションでまとまりを生み出す目的は、見る人から「good!」っていう反応をもらうためにやるんですよ?その見る人が分からない部分は意味がありませんよね?

分類学に則って分類することが目的ではないのです。

 

イルカを哺乳類と聞いたとき、
「え!?海の中を自由に泳ぐイルカが私たちと同じ哺乳類?魚の方が近いんじゃ・・・。」と思いませんでした?

 

イルカは「母乳が出る」「肺呼吸」「赤ちゃんを卵で産まない」という哺乳類の条件を満たすために哺乳類に分類されるのです。この事実を知らなければ、「海の生物」「魚に見た目が似ている」ことから魚の仲間だと勘違いしてしまいます。このように、情報の受け手が「同じものと見なせない」場合、いくらこちらが同じだと叫んだとしてもまとまりとはみなされません。

 

逆に言えば、イルカは哺乳類だけど海の生き物として水族館にまとめた方が見る人にとっては、理解がスムースです。

つまり、見る人のもともとあるイメージに沿ってデザインすることがまとまりを作るには大切です

 

 

さらに、目に見えるレベル(配色や形など)でまとまりを生むこと経験や知識(イメージ)でまとまりを生むことの二つの視点が実は必要になるのです。ということは、情報の受け手(ファッションの話なら、あなたの服装を見る人)の頭の中にどんなイメージを描いているかを想像できないとまとまりをうまく作れないのです。

 

簡単な話です。

マサイ族にスラックスに革靴を合わせた着こなしを見せたとしても、なかなか共通点を見出すのは難しいでしょう。スーツなんて知らないからです。でも、私たちは毎日スーツを身にまとったサラリーマンを見ています。そのためスーツスタイルはスラックスに革靴を合わせるものだというふうに刷り込まれています。スラックスと革靴の合わせは「スーツ」の構成要素として共通点を見出せるわけです。

逆に、同じ素材・同じ色のテーラードジャケットとスラックスの組み合わせは、「スーツ」の概念を知らないマサイ族でも共通点を見出すことが出来ます。これが、目に見えるレベルでまとまりを生むということです。

まぁでもマサイ族と私たちみたいに知識のギャップがこれだけあることは無いので、そこまでシビアになる必要はありません。ちょっとだけ、「相手の頭の中に無いものでまとまりを作ることは出来ない」ことは覚えておいて欲しいですね。

 

 

 

 

アパレルスタッフの頭の中。

 

そうです。

要素の共有。

これがアパレルスタッフやおしゃれな人は無意識に出来るんです。

 

たくさんの洋服をああでもないこうでもないと組み合わせたり、このTシャツにこのボトムが合うんじゃないかと試してみたり、合わないなら何が問題なのか、合うならどこが良かったのか。

 

この思考錯誤の中で自分のなかに暗黙知としての知識が蓄積され、明確な言葉で説明することは出来ないけれど感覚的には分かっているのです。

 

それを言葉にしたのが「要素の共有」なわけです。

 

私がこの「要素の共有」がおしゃれな人の思考にカギだと思いついた当初、何も証明する手段はなくこの持論について自信を持てずにいました。でも、私が勤めていたセレクトショップの店長と会話したとき、確信に変わりました。

 

「店長、『合わせる』ってなんでしょう?店長の今日のスタイリングはゆるめのスラックスにハードなレザー、オーバーサイズのスウェット、ダメージ感のあるスニーカーを合わせてますよね?例えば、スーツにも使われるスラックスとかなりハードなレザー、全くテイストの異なるアイテムをどういう意図で合わせてるんですか??」

「レザーとスニーカーを同ブランドにしつつ、でもダメージ感があるからその印象を崩さないようにインナーはスウェット。このボトムにスラックスを選んだんだけど、普通のスラックスを合わせてしまうと他のアイテムと差がつきすぎてしまい違和感が生まれるから、ゆるめのシルエットのスラックスを選んで全体の印象を崩さないようにするって感じかな。」

「ってことは、スニーカーとレザーのダメージ感、スウェットのリラックス感とスラックスのゆるさ、・・などテイストの違うアイテムでも同じような要素の共有をして合わせているということでしょうか??」

と確信犯的に尋ねてみたところ、

「そういうこと!」

と答えが返ってきました。

 

もちろん、一語一句再現しているわけではないですが、趣旨としてはこんな感じの会話でした。

 

これで、「やっぱりそういうことか!」と腑に落ちたんですね。

そのときの店長のスタイリングは着崩したリラックス感のあるスタイリング。ハードなレザーとダメージスニーカーを使っているので、インナーもきれいなニットよりスウェットを選択したのです。その方が全体としてのまとまりが出るからです。

 

要素の共有について言葉で説明するととちょっとくどいですけど、慣れれば意識せずとも出来るようになります。

 

これを知っているだけで、あなたの洋服を組み合わせる試行錯誤の回数はグッと少なくなるはずです。初めから「合わせのコツ」が分かっているからです。ゼロからのスタートじゃない。

本来ファッションは「センスだ!」とされることが多く、皆ゼロからそのコツを求めて試行錯誤します。本当に何もない状態からヒントを得るのは時間がかかります。後で振り返ってみれば無駄なこともやらないといけないからです。

 

でもあなたはそれを知った。

めちゃくちゃアドバンテージがあります。

 

もし、あなたがおしゃれになって

「〇〇(あなたの名前)はセンスがあっていいよなー」
言われたとき、

「まぁ俺は洋服の組み合わせを言葉にして説明できるけどね。」
ってさらっと言えたらかっこいいと思います。

 

そんな人間いませんから。

その話の中に、くどくならない程度に抽象化の話とか絡ませることが出来たら、「コイツただもんじゃねぇ・・。」と思われるはずです。

理知的でスマートだと思われるはずです。

 

そんなあなたの未来が来ることを祈ってます。

 

 

 

まとめ

抽象化の概念からかなり丁寧に説明したつもりでしたが難しかったかもしれません。ですので、まとめ。

抽象化=共通点を抜き出してひとつの概念にまとめること。

 

これを説明したのは、人間が抽象化を普段から何気なく実践していること。そして、抽象化がまとめることである以上、人間が常にまとめる能力を使っているということに気づいてもらいたかったのです。

人間は処理する情報を圧縮するためにまとめます。
だからこそ、そういう概念のレベルを飛び越えて認知的なレベルでもまとまりを無意識的に探しているのではないかと思うのです。その方が楽だからです。

その人間のまとめたがる習性を逆手にとってデザインが考えられているのだと思います。

人間は乱雑した情報よりも、整理された情報を好みます。
何度も言うように、まとめられた情報の方が理解が楽だからです。

 

人間は本質的な怠惰生き物なのです。

 

だからこそ、「要素の共有」をすることは、おしゃれにおいてポジティブな印象を与える上で重要なものだと思うのです。再三言いますが、人間の認知的労力を節約できるからです。

エネルギーを使わない方がいいでしょ?

ダイエットするのに好きなだけ食べられる、且つ運動もしなくていい方が楽でしょ?

 

一番伝えたかったっことは要素の共有ですよ。

アパレルスタッフやおしゃれな人は皆これが無意識にできるのです。