知識を自分のものにしたいなら、何度も何度も自分の体に叩き込まないとダメです。
学校の勉強は繰り返し同じ問題を解いて解法を身につけようとするのに、他の知識は繰り返しインプットしないのですか??
何度も手を動かしてアウトプットしないのですか??
学校のお勉強から離れた途端に急にリピート学習することが無くなるのです。
多分これは、唯一の『正解』が無いからです。
社会に出れば唯一の答えなど無くなります。
1人1人が自分なりの答えを出さないといけなくなるからです。
学校はもともと用意されている答えの出し方しか教えてくれませんでした。
それなのに、社会に放り出されるといきなり自分なりに答えを出す力が求められます。
ちょっとフィールドが変わると、ゼロスタートになってしまうんですよね。
学校のお勉強で培ってきたことを生かせない。
もしくは、何となく気づいているけど100%の力でコミットできない。
答えが無いから全力でアクセルを踏むことが出来ないでいるパターンです。
「なんかやっても無駄になりそうだし。」って考えてしまうんです。
これ私なんですけど。
もしあなたが私と同じような思いを抱いていても大丈夫です。
あなたには答えが無いにも関わらず、自分なりのトライアンドエラーを繰り返し自分をステップアップさせてきた過去があるからです。
その過去に遡って自分に聞いてみましょう。
自分なりの答えのもぎ取り方。
それはあなただけが知っているはずです。
部活がマイスタイルを作る!?
学校教育課程の中で、自分なりのアレンジして正解を導き出そうとするものがあります。
それは部活です。
スポーツは、絶対の正解はありません。
ある状況を想定したパターン練習をしても、同じような状況はあったとしても全く同じ状況が訪れることはありません。
その状況に対応する個人の技量が求められるのです。
また、スポーツは個人の身体感覚が深く関係します。
そして全く同じ身体感覚をしている人は、おそらくいないでしょう。
だからこそ、各々が教えられたことを自分専用にカスタマイズして落とし込んでいかなければいけないのです。
股関節を広げ、軸足に対して90°に足を開いてボールを蹴るのがインサイドキックだよ。
パスに最も適した蹴り方だよ。
と教えてもらっても、
どこに力を入れればより強く正確に蹴れるのか、
ボールをどこの位置に収めておけば蹴りやすいのか、
というのは人によって微妙に違うのです。
それを自分で見つけなくてはいけない。
体の柔らかさ、体の構造、体の大きさ、関節の柔らかさ、重心の乗り方・・・・
挙げればきりがないほど、違いがあります。
コーチはコツやポイントを教えてくれるかもしれません。
でも、その動作や技術を習得するのは間違いなく自分なりの試行錯誤なのです。
何度も何度も同じ動作を繰り返しながら、どうやったらうまくいくか考える。
失敗を徐々に修正していって答えを探すのです。
自分の最適解を見つけ出していくのです。
一回読み流すだけは意味が無い。
このようにスポーツを例にとれば分かるのではないでしょうか??
あなたもスポーツをやった経験があるなら何となく分かると思います。
知識を蓄えようとして、一回だけインプットするのはまるで意味が無いことを。
正解がないからと言って繰り返し学習しないことの無意味さが。
スポーツをやっていたなら、思い出してみて下さい、
あなたの技術が上達していった過程を。
自分なりに考え、実践し、何度も失敗してきたはずです。
その先に技術の向上があったのではないでしょうか。
人は一回じゃ何も身につきません。
余程優秀であれば一回で学習する人もいるかもしれませんが。
そうでないなら、
繰り返す繰り返す繰り返す。
実践実践実践。
を頭に刻み込んでおく必要があります。
私も頭でっかちな人間で、且つ新しいことを吸収したくなる浮気性ですから、今一度頭と心にナイフを突き立て、ガリガリと刻み込んでおきたいと思います。
血肉化してこそ知識は生きる。
自分の体の一部となってこそ、知識は生きるのです。
意識して知識を引き出しているようじゃ100%の力を発揮できません。
まだまだです。
サッカーやバスケなど数秒でゲームの流れが変わる競技は、無意識に挙動を引き出せなければお話になりません。
一瞬の遅れが、ゲームの勝敗を分けることだってあるのです。
最近、あるジャンルについて勉強してたんです。
何回も学習したし、知識として身についてるかなぁと思ったんですけど、全然だったんですよね。
びっくりするくらい。
頭の中の引き出しがサビついてるんじゃねぇの?と思うくらいガタガタ引っかかてスムーズに知識を取り出せないんです。
私の頭がよろしくないっていうのは浪人時代に悟りましたが(おせぇよ!)、もうマジで修行僧の如くリピートしなければならないと再認識されました。
圧倒的にインプットもアウトプットも足りないと感じましたね。
そうじゃなきゃ知識は私の一部にならない。
今のままだったらフワフワとどこかに飛んでいきそうです。
やっぱり量をゴリゴリこなさないとダメだわ。
もっともっと。
もっともっともっともっと。
もっともっともっともっともっともっともっともっともっと。
はぁ~。
実は私の反省の記事です。
結論
考える暇があったら、やれ!やれ!やれ!
私「はい。肝に銘じます。」
まとめ
ちゃんとまとめもしておきます。
スポーツを通じて、自分なりの答えを探してきた。
既にその経験が自分の中にあるのだから、答えが無い分野でもインプットとアウトプットを修行僧のように繰り返せ!
PS
新しい本を手に取り、中身を開いたときにこれらのことを考えました。
「あ、まだ前の知識を消化できてないのに新しいことに手を出そうとしてる」と感じて。
新しいことを学ぶと、見たことない視点や世界をくれるから、「うおおおおおお!!!」ってなるから凄い面白いんですよね。
刺激的なんです。
妄想捗りますし。
それに対して何度も何度も繰り返して学ぶってちょっと刺激に欠けるんですよね。
分かってないのに、自分ではわかった気になってるから。
テストがあるわけじゃないから、本開いても「知ってる知ってる」って思っちゃうんですよね。
そういう意味では、唯一解の無い勉強っていうのは、自分の問題点を認識するってことが難しいです。
自分がどこでつまづいているのか、分からないんです。
分からないところが分からないみたいな。
だから何か、ペーパーテストのためじゃない勉強をするときは、「自分のどこがいけないか」をあぶり出すぞって気持ちで勉強するといいかもしれないですね。