どういうときに言うか分かりますか??
・自分の理解できる範囲で、自分の期待を超えてきたとき。
・自分の感性に深く刺さるとき。
このとき、人は「センスいい!」と言うのです。
だってそもそも自分に分からないものを判断することは出来ないわけです。意味不明で理解不能なものには、不気味さとか奇妙さを抱くのが普通です。知らない人から声をかけられたら、バリアを張るように警戒しますよね?それと同じです。
「センスいい!」って言うことは、好意的な気持ちを抱いています。その気持ちは既に自分の中にあるものなのです。既にある、あるものに対して好きな気持ちがトリガーになっているのです。
つまり、今まで見聞きした情報と経験が「センス」を形作っているわけです。
たまにマニアックな着眼点を持っている人とかいるじゃないですか。そんな細かいところまで見る?みたいな。その人にとってはその細かいところまで見てきた経験があるからそのすごさが分かるんです。一般の人には理解されなかったりするけど。
メッシの凄さは分かるけど、ディフェンスより1つ前のポジションで縁の下の力持ち的なプレーで貢献してるボランチの凄さは伝わりづらいみたいな。彼女に、このボランチの相手のチャンスを潰す嗅覚が凄いんだ!って力説しても頭の上に「???」が浮かび、良く分かんないって言われるのがオチです。
全く知らない領域に対しては、理解できないんです。
ファッションで言うなら、パリコレなどのコレクションで登場する、「不思議な国のアリスの住人ですか?」と言わんばかりの奇抜な服装には「変な服」「理解不能な服」という評価を下す人がほとんどだと思います。
自分の見聞きし、体験した情報の中にしか「センス」はありません。
もしくは、その延長線上にしかありません。
「センス」は「感覚」とも訳されます。
感覚はやはり、自分の経験したものの中にしか生まれません。
知らないことを自分の感覚に変換することは出来ません。
「センスいいね!」と判断する、まさにその人が経験してきたことの中の上位に位置するもの、特に好きなものが「センス」として言葉に現れるのです。
まあ「センスいいね!」よりも「カワイイ!」とか「おしゃれ!」って言う方が今はポピュラーかもしれないけど。
PS
たくさんの人に評価されるようになりたいのなら、たくさんの人に共通している価値観を抜き出さないとダメです。1人1人は各々の感覚に合わせて「センスいい!」って言うから、その最大公約数を取るように考えないといけません。
「え、お前それが好きなん?」って明らかに他の人とは異なる趣向を持つ特殊な事例を取り除いて、一般受けを考えるということです。
とはいえ、一般受けを考えすぎてどこにでもある平凡なものでは意味がありません。一般受けしつつも差別化されているクリエイティビティも必要になるということです。