コーディネートというのは、結局服と服の組み合わせです。
普通、デザインを考え、布を裁断し、縫合し・・・と一から洋服を作ることはしません。
私たちに出来ることは、すでにあるものを組み合わせることだけです。
だから、ハードな鍛錬を繰り返して身につける技能と言うよりも、組み合わせ方を知っているかどうかなんです。そして、その組み合わせ方を表面的な理解ではなく、腹落ちするレベルで分かっているかです。
つまり知識なんですね。
いかに役に立つ知識を自分の中に溜め込んでいるか。
そして使えるようにしていけるか。
もちろんただ知っているレベルから、知識をまるで自分の手足のように操るというレベルにもっていかなければなりません。つまり実践を重ねなければなりません。筋トレと同じように。
筋トレは自分の筋繊維を傷つけることで強くなります。
そのために自分を追い込むようなトレーニングを続けなくてはなりません。
キツイです。
だからみんな続かないんです。
キツイことをやり続けることは大変ですから。
ファッションも実践し続けるという点では同じですが、筋トレよりも圧倒的に早く効果が出ます。
ハードなトレーニングもいらない。
知識が何よりも早くあなたのものになるということです。
PDCAがグルグル回せるのです。
もうグルグルです。グルグル。
何が良かった?何が悪かった?というのがすぐに分かり、どんどん自分なりに改善していけるのです。
筋トレだったら効果が出るまでに時間がかかるので、時間が経たないと何が良かったか悪かったかを分析するまでも時間がかかるのです。試して効果を確認するまで時間がかかるのです。
もし、ファッションに使った知識が抽象的なものであれば、他の分野にも応用できるはずだと私は考えます。
知識がすぐに自分のものとして使えるようになるというのは、とてもメリットがあることだと思いますよ。
ちょっと横道にそれちゃいましたね。
おしゃれの可能性を考えて興奮してしまいました。
要は、「ファッションは知識が使えるレベルになるのが早いからどんどん蓄えていけ!」ってことです。
これが言いたいことです。
おしゃれは、『洋服を選びそれを組み合わせる』ことで基本的に完結します。
頭の中にあるものをいかにして吐き出せるか。
つまり『知っているか・知らないか』です。
まだまだおしゃれは「感性がモノを言う世界」と思っている人が少なくないですが、知識で十分補えるのです。考え方次第、捉え方次第でセンスでさえ身につけることは出来ます。
一流のものに触れていれば、その人も一流に近づいていくように何を頭の中にインプットし、残していくのかが大事です。
自分を変えたいなら環境を変えろ!と言われるのも、人間が適応能力が高いからです。触れる情報を変えれば、その情報に合わせて「フィットさせなくては!」と、自然と自分を適応させるシステムが働くのです。
人間は社会的な生き物だから、外部環境に柔軟に適応させないと生き残っていけないのです。
社会からはじき出されたら、生きてゆけないのです。
人間は共同体を作って、お互い足りないところを補いながら生きてきたからです。
人間には柔軟に環境に適応させるシステムがあるからこそ、卓越したものに触れていれば凡人であろうともその領域に近づいていけます。
だから、知識で補えます。
センスは知識からはじまります。
センスとは最適化能力のことであり、引き出しをたくさん持っているほど様々な角度から最適化までの道のりをはじき出すことが出来ます。
そういう多角的な視点は知識から作り出されるのです。
「いつもと同じ景色なのにいつもと違って見える」というのは、見方や考え方が変わるからです。
知識はメガネになりえます。
普段と違う景色を見せるメガネです。
あなたが様々な分野の知識をつけるほど、たくさんの種類のメガネをかけることが出来るようになります。
センスには感受性が必要だと私は考えますが、感じ取る力というのは後天的にカバーできるものです。
しかもおしゃれは、スポーツなどの技能系とは違い、瞬時の判断と言葉に表すことの出来ないほどの微細な個人的な身体感覚を必要としません。
組み合わせることが出来ればいいのです。
もちろん、パリコレなどのコレクションに参加するデザイナーなどは、モデルの選定を含め、衣装、テーマ、シルエット素材、全体の雰囲気を細部に至るまで、自分の感覚を研ぎ澄ませて調整するでしょう。
が、私たちはそこまでする必要はありません。
『洋服と洋服を合わせる』ことが出来ればいいのです。
微細な感性を持ち合わせていなくても、結局は既にあるものをどう着るかです。
私たちが出来るのは、『洋服を選び、それをどう組み合わせるか』だけなのですから。
細部までの調整と言ったって、結局は組み合わせに行き着いてしまいます。
だから、おしゃれは知識なのです。
いかに頭の中に知識を蓄えられるかが勝負の分かれ目です。