夏が、来る―――――。
『ジリジリ』と、
まるで音が聞こえてくるかのように太陽の日差しが降り注ぐ夏。
太陽の光は肌を焼き、クリーム色の素肌を小麦色に変える。
夏のキツさは太陽だけじゃないぜ。
ミストの中にいると錯覚するほどの湿度の高さ。
肌に膜がまとわりついているようだ・・・・。
そんな厳しい夏の暑さを乗り越えるには、どんな靴が必要か?
革靴なんて当然履いていられない。
でも本当にいいのかい?
「この暑さだ、仕方がない。諦めろ、俺。」
と、あなたの心の声が聞こえてきた。
この記事を読んで、今年の夏は例年よりもかっこよく、そしてスマートに乗り越えてくれ。
革靴に替わる、靴。
その名はエスパドリーユ。
―――――――――
という訳で。笑
夏になぜエスパドリーユを履くべきなのか
あなたの脳が快楽物質を分泌してしまうほどに痺れる解説をしていきます。
あまりの気持ちよさに、「ひぃひぃ」と悶絶してしまうことになるでしょう。
誰にも見られないよう、ひっそりと自分の部屋で読んでくださいね。
じゃあ行きます。
エスパドリーユを履く最大の理由。
それは・・・・。
脚を長く見せるから。
これに尽きます。
肌を焦がす、夏の日差しの下では革靴なんか履いてられません。歩くたびに足から汗が吹き出し、湿度を高め、見事な蒸し風呂を靴の中に作り上げます。
足が不快すぎて、おしゃれどころじゃないです。
そんなドMな所業に耐えられません。
そんなあなたを救うのがエスパドリーユです。
下半身の完成度が微妙になるのを覚悟でスニーカーを履く必要は無くなります。
BYEBYE.
夏のアレ、嫌なんですよ。
「革靴合わせればもっとかっこよくなるのになぁ~」と思いながら、妥協してスニーカーを履いて歩くヤツ。
たまに街の中にある鏡に自分の姿が映ると、ちょっとテンションが落ちます。笑
脚が長く見えれば、たいていの着こなしはかっこよくなります。
スタイルが良ければ、かっこよく見えるのと一緒です。
『そう』見えてしまうんです。
「これは背の高さや手足の長さが成熟した大人の証だからだ。」と理屈付けはいくらでもできますが、そんな説明が必要ないほど、あなたは感じるはずです。
雑誌のなかのモデルやテレビで活躍する芸能人を見れば、「かっこいい!」と。
羨ましくなったり、自分もああなりたいと。
私が説明しなくても、あなたの今までの経験がそれを分かっているはずです。
エスパドリーユは、『脚を長く見せたい』というあなたの願いを叶えてくれます。
なぜ脚が長く見えるのか?
ここが重要ポイントです。
エスパドリーユを履くと、なぜ脚が長く見えるのか?
そのメカニズムを解明するには、『比』を考えなければなりません。
以下の記事を読むと、『比』に対しての考えがよーく分かりますよ。
脚の長さは『比』によって決まります。
なぜなら、人が人の脚の長さを判断するときは一瞬だからです。
『パッ』で決まります。
じゃあ『比』だと言うなら、何を比べるのでしょうか?
『比』は当然『比』べるものが無ければ成り立ちませんから。
その構成要素はと言うと、ざっくり言えば、
・ボトム
・素肌(靴下)
・靴
です。
人はこれらを一瞬で見比べて、脚の長さを判断しているのです。
見た方が早いので先に見せますね。
着こなしは置いといて・・・。笑
膝下に注目してください。
エスパドリーユの方がぺちゃんこですね。
平らで靴に高さが無いのが分かります。
対してスニーカーは靴に高さがありますよね。
ということは、見える面積がスニーカーの方が大きいということです。
ココが肝。
つまり、
・ボトム+靴下の面積をエスパドリーユの方が物理的に長く取れる
・靴自体の面積が少ないエスパドリーユの方が心理的に長く見える
ということですね。
心理的・・というのは錯覚のことです。
窓自体は同じ大きさ。その外側に枠が取り付けられているものと、取り付けていないものとでは大きさが違うように感じるという心理作用と同じ原理です。
ちょっと分かりづらいですけど、この効果は大きいですよ。
もう一例載せておきますね。
数cmで大きく見え方が変わる世界です。
「こんなちょっとくらい・・・。」と言わずに取り入れてみてはいかがでしょう。
しかも『物理的』『心理的』に効果があるというWパンチなので、写真で見るよりも実際に履いた方がその違いを感じるはずです。
現実では写真のようにまじまじと見つめることは無く(しかも全体を俯瞰することも出来ない)、勝負は一瞬で決まりますから。
脚が長く見えることのメリット
これ、、、。
どのサイトでも解説している人はいないです。でも、このメリットを意識するしないで着こなしがまるで変わります。
そのメリットは、上下のバランスが整いやすくなることにあります。
「何だそんなことかよ!」
と、『←』ボタンを押して戻る人や、『✕』ボタンを推してページを閉じてしまう人はセンスがありません。
だって、上下のバランスをなおざりにしていると言わざるを得ないから。
上下の微妙なバランスを取ることが出来る人は、長くその身をアパレル業界に浸してきたり、卓越したファッションセンスを持っています。
『Aラインシルエット』のような『~シルエット』はテンプレです。
上下の微妙なバランスを取れない人が、お手軽にバランスを取るためのものです。
おしゃれな人は『~シルエット』を意識しながらも、自分なりのバランスを持っているのです。
その上下のバランスを取るとき、脚を長く見せることは超重要ポイントなのです。
ちょっと自分の胸に手を当てて考えて見て欲しいんですが、みんなの「なんかかっこよく見えないなぁ」って、スタイルさえ良ければ解決すること多くないですか?
「もうちょっと大人っぽく見えたら・・・」
「ジーンズがかっこよく穿きこなせたら・・・」
とか。
そうじゃないからこそ、私たちは色々工夫しなければいけないわけで・・・。
脚の長さをカサ増し出来ることがどれだけ重要か。
こうやって考えると分かってくるのではないでしょうか。
脚を長く見せることが出来れば整いやすくなります。なぜなら、上下のバランスが良く見えないときは、たいてい下半身の面積が少ない時に起こりがちだからです。
だから、私はエスパドリーユをオススメするのです。
PS.
見えてくる限界。
残酷な事実ですが、『体型を良く見せる』には限界があります。
私は、ちょっと前までこの事実に何となく勘づいていながら目をつむってきました。どうにかすれば、自分の体型を際限なく良く見せることが出来るのではないかと。
いざ文章にしてみると、とんだ大馬鹿者ですね。
こんな当たり前のことを理解できないとは。
でも、ようやく『無理』だと悟りました。
『自分の体』という実像に重ね塗りするフィクションには限界があると。
いや。
さっきも言ったように、気づいていたけど認めたくなかったのです。
生まれ落ちた時点での有利不利を。
どうにかして覆せないかと、思ってきた。
そんなの嫌だって思ってた。
でも、覆せないものは絶対にあって、自分が持ってるものを生かさないとダメだと思うようになってきたんです。
生まれ落ちた時点での有利不利なんて、何もファッションの世界だけでは無いですよね。
人生にも当てはまることです。
日本に生まれるのか。
外国のスラム街に生まれるのか。
全然違いますよね。
日本でのんきに生活している私からすれば、スラム街の生活はぞっとするほど恐ろしいです。
私がモデル体型を羨望していたように、
スラム街の人たちも私たちのような暮らしを羨望しているかもしれない。
(次元の違う話なので引き合いに出すのはどうかと思いましたが、あえて。)
自分にあって、自分に無いもの。
最近はそればかり考えています。
生まれ落ちた時点で不平等があります。
でも、無いものねだりを辞めて自分を受け入れてみる。
すると、自分の持っているもの・持ってないものをどう使うかを考えられるようになってくる。
自分の最適解を探す。
それが唯一の答えなのだと思います。
それは人生でもファッションでも同じことだと、私は思います。