おしゃれするときに「メリハリをつけろ!」とよく言われます。「メリハリをつけることでスタイルが良く見えます!」みたいな。このとき私は、雑誌やネットの記事をツッコミを入れながら読んでました。
「おいおい、メリハリつけると何でスタイル良く見えんの??」って。
言葉の背景を読み解く頭脳を持ち合わせてない頭の悪い私は、飲み込むことが出来ずに悲痛な悲鳴を上げていたんですね。「おい、ふざけんな!教えてくれよぉぉ!分かんないよぉぉぉぉ!」って。
でも、ネットを縦横無尽に駆け回ったり、雑誌を乱読したりしても分からなかったんです。
「クソォ・・・。意味の分からない言葉で説明しやがって・・・。上等だ。」
と、自分の頭の悪さを棚に上げ、ついにブチ切れて自分の力でその根拠を考え始めたのです。
「『メリハリ』は何のためにつけるのだろう?」
「何で抑揚をつけると『良く』見えるのだろう?」
このとき、「きっとファッション関係の本には、手がかりはないな」と思っていたので、何か違うアプローチ方法がないかと考えていました。
「メリハリ」は音の表現する際にも使われるし、ビジネスでも頻繁に使われるし、スポーツの練習にもだらだらしないように使われるし、接客動作の指導の際にも言われるし、物語を演出する際にも用いられるし、メリハリボディ・・・と、多種多様な分野で耳にする言葉。
あらゆる分野にまたがって人間はメリハリを使っている・・・。だからこそ、人間にはメリハリを良く思う「何か」が備わっていると思ったのです。根源的な何かが。
その仮説を立てたとき、これをしっかり説明できるようになれば、ファッションにおいて大きなアドバンテージを得ることが出来る知識になると直感したのです。
表面的ではない深い知識だから。
人間の本質に訴えかける知識だから。
だから、今回は私が持っている「メリハリ」の知識を解放します。
暴露します。
まずは、「メリハリ」の定義から見ていきましょう。
「メリハリ」の定義
減り張り/乙張り メリハリ
1 ゆるむことと張ること。特に、音声の抑揚や、演劇などで、せりふ回しの強弱・伸縮をいう。「―のきいたせりふ」
2 物事の強弱などをはっきりさせること。「―をつけて仕事をする」
出典:コトバンク
メリハリっていうのは、強弱とか抑揚のことなんですね。ずーっとメトロノームのように一定じゃない。同じじゃないってことです。盛り上がる部分と盛り下がる部分がある。
”「メリハリ」は、邦楽用語である「メリカリ」が転じた言葉だそうです。
「メリカリ」とは、 微調整して音を低めることを「減り(めり)」、高めることを「上り・甲(かり)」と呼んでいた邦楽用語で、現代では、主に尺八などの管楽器で使われています。「減り(めり)」は「減り込む」など、一般的にも使われていた言葉ですが、「上り・甲(かり)」は邦楽以外で使われることがなかったため、一般的には代わりに「張り」を使って「減り張り(めりはり)」と言うようになり、「音声を緩るめることと張り上げること」を意味するようになったそうです。その後、音の高低以外にも「メリハリの利いた話し方」「仕事にメリハリをつける」など、比喩的に用いられるようになりました。”
出典:日本語不思議辞典
最初は「減り」「上り・甲」という音楽用語。その中でも「カリ」は音楽に携わる人には馴染みが無いため一般的には「ハリ」をあて、誰もが知る「メリハリ」になったようですね。最初は音の高低を表していたものが、強弱や抑揚を表す場合に比喩的に使われるようになったということです。
メリハリが無いとは?
最初は音の高低。それが転じて、強弱や抑揚にまで意味が広がってきたということでした。
今度は、より理解を深めるために、
メリハリが無い状態とはどういう状態か?ということを明らかにしていきます。
メリハリが無い状態というのは、強弱や抑揚のない状態のことです。具体的には、「だらだらと過ごしている、物事の境界線が無い」ような状態のことを指します。
ずーっとテレビの前で、おせんべぇでもかじりながらゴロゴロしている姿が目に浮かびますね。また、期限を設けずだらだら仕事をこなすのもメリハリが無い状態ですよね。
私は典型的なメリハリのない人間なので、自分で書いていて耳が痛いです。笑
締め切りが大嫌いなんですよ。何か物事に取り掛かるときは、期限を設けずだらだらやりたいタイプです。笑
イメージ的には、「ずーっと一定な感じ」ですね。
この概念はコアですから重要です。
私はこの「一定な感じ」を「単調さ」と言い換えてます。
だから、この一定な感じっていうのは、人間はあまり好きではないんです。
一定ということは、人間の感情も揺れ動きません。当たり前ですね。メトロノームを見ていて激しく感情が揺さぶられるでしょうか?それよりも、起伏のある音楽を聞いたときの方が感情が揺さぶられると思います。音楽はサビで盛り上がりが最高潮になるように構成されますよね?それと同じです。
それに、良い影響も与えません。
期限を決めずに仕事をしてしまうと、「期限までに仕事を終わらす!」っていうのを考えないで仕事をダラダラやってしまうので、生産性が低い仕事しか出来ず無駄な時間を浪費してしまいます。
人生をダラダラ過ごしてしまうのもそうです。
人生の終わりをはるか先のように感じて、あたかも「自分の命は永遠に続くんじゃないか?」と錯覚するからです。
自分の命の期限を知ったとき、人生が輝き出すものです。
タイムリミットを意識し、「自分の命の終わり」という境界線を意識するからです。
「メリハリ」というのは・・・
強弱をつけることは、人間にとってポジティブな影響を及ぼすための手段なのです。
さっきも言いましたが、人間は「ずーっと一定」だと退屈だしだらけてしまうからです。
また、「メリハリ」をつけると比較対象が生まれます。
それも反対の性質の。
だってそうですよね。
そもそも「弱いもの」と「強いもの」が無いとメリハリは生まれないんですから。
最初からゾンビがいた世界よりも、初めは平和な日常を送っているところから描いた方がゾンビのいる世界の恐怖が増幅される。
同じウエスト周りだったとしても、バストとヒップが「ボン!」と大きい方がそのウエストが対比でより細く見える。
彼女と別れて、「彼女のいた世界」「彼女のいない世界」を比べて彼女の存在の大切さを気づく。
反対の性質の比較対象が出来るということは、お互いの性質を強めるのです。
コントラストが強くなるのです。
メリハリは、お互いの存在を際立たせる。
ということなのです。
じゃあなぜこれが、外見上の魅力結びつくのか?
この答えは認知心理学さんに出してもらいましょう。
お互いの存在を際立たせるということは、理解が容易になるということでもあります。なぜなら、はっきりと認識できるようになるからです。
欧米人の顔に魅力を感じやすいのも、鼻は高く、鼻の下は平らで、おでこはボコッと出てて・・というようにメリハリが利いてるからです。反対に日本人は、『テルマエロマエ』で阿部寛に平たい顔族と呼ばれていたように、メリハリのない平面的な顔の形をしています。
このようにメリハリがきくと、鼻や目や口などそれぞれのパーツの輪郭がはっきりし、認知的に楽になるということです。
このような理解のしやすさ、認知的容易さを魅力的に感じてしまうことを「知覚的流暢性誤帰属説」と呼びます。
ちょっと難しい名前がついていますが身構えないで大丈夫です。
人は物事がスムーズに運んでいるとき、そのことに好ましい気持ちを抱きがちです。「楽勝だぜ!」と得意げに言うことはあっても、不愉快になることはあまりないですよね?でも、本当はスムーズに事が運んでいるからといってそれが良いことかどうかは分かりません。それなのに、「スムーズさ」だけで「正しい」と誤った理由によって判断しているので、誤帰属説という名前がついているのです。
つまり、理解のしやすさ・認知のしやすさは、誤った理由ながらも魅力度判断の要素としてするっと入り込んできてしまうのです。
だから、ファッションにおいてメリハリは、お互いを際立たせるものとして、認知をしやすくするものとして大切なのです。