人って簡単に洗脳される。
オウム真理教に洗脳されたとかされないとか、その前にこの世界に洗脳されてる。
洗脳って言葉は悪いか。
何て言い換えよう。
影響・・?これでいこう。
影響されてる。
この世界に関わっていく中で外から情報がどんどん入ってきて植え付けられる。だから、ただ漫然と生きてるだけで「この世界ってこういうものだよね。」というように自分の中で組み上げられていく。しかも、人は絶対に自分を客観視することは出来ない。客観「的」に考えることは出来るけれど。
ずーっと主観から抜け出すことは出来ない。
だから、もう物心ついたときには手遅れになっている。
この世界が常識で唯一無二。他の可能性なんて考える暇もなく時は過ぎていき、ある程度自立して考えられるようになったときには、学校教育を経て見事にその国の価値観に染まっている。もう常識が骨身に染みてる。しかも日本は特殊な国。特殊な国の価値観に染まっているなんて、誰が思うのだろう。当の本人たちは、それを常識だと思って暮らしているのに。
小学生の頃、労働時間のグラフを見て「うわっ!日本人働き過ぎじゃん!」って思ったときから大学卒業したら人生つまんなくなりそうだなーって漠然と思った記憶がある。フランスだかどこかの国はバカンス休暇があるのに、日本は何でねぇんだよ!って友達に愚痴を漏らしたのに、友達はあんまり気に留めてなかった。
そのあたりから、日本について疑惑の目を持ち始め、次第に常識にも疑惑の目が向けられていった気がする。
外国人の価値観に触れて、「変だ」と思うのなら、自分たちも変な価値観を持っていることを反対側の視点から捉えなおさなければならない。
別に私自身外国で暮らした経験があるわけではないけど、今の時代は、昔と比べて圧倒的に世界との距離が近くなった。インターネットのおかげで。
日本を他人のフィルターを通して見れることが出来るようになったというのは大きい。もちろん、実際に日本から出て実体験を通して、外から客観的に自国を眺める経験をした方がいいんだろうけど、違和感を何となく感じることが出来るだけでも十分ありがたい。
おかげさまで、親とは価値観がずれてしまったように思う。特に最近。両親は田舎に住んでることもあるし、先端の情報に触れることも少ないし電子デバイスも自在に使いこなせるわけでもない。去年父親がようやくスマホに変えてラインをインストールした。
両親世代は今ほど情報は無かっただろうし、特に自国の価値観に染まりやすいとは思う。
だからこそ、ずれてしまったのかもしれない。
数日前、母親に間接的に「変だよね。」って言われたし。
うーん。
自分が変だという認識はちょっとあるけど。
それよりも、
「変だよね。」っていう趣旨の言葉が出てきたプロセスにモヤモヤを抱いてしまう。
だって、私としては母親の価値観を押し付けられたように感じるから。
価値観を押し付けられるのは一番嫌いかもしれない。
あ。ダメだ。
この1文書いたら、私が不快感を抱いたシーンがフラッシュバックしてきた。
価値観の押しつけが一番嫌いだってことがはっきりわかった。
「こうしなきゃダメだよ。」って言われるのがダメだわ。
他は全然許せるのに、これだけダメかも。
自分がやべぇ奴なのかもしれない。
っていう気持ちがちょっと湧いた。w
この気持ちは今はしまっておいて、話を戻そう。
何の話だっけ?
えーと・・・・。
あ、そうそう。
常識と影響の話。
両親世代は爆発的な流行が起こりやすかった。みんながみんなテレビを見てたから、テレビの影響力は半端ない。まさにテレビ一強。
聖子ちゃんカットをみーんな真似するみたいな異常な現象が起こる。本当にみんな。どこもかしこも状態。今「この髪型みんなやってます!」というのとはレベルが違う。
それと比べれば今の流行は、プチ流行みたいなもん。
昔が全国統一、今が戦国時代みたいな。
昔はテレビが圧倒的な情報の供給源だった。
今は情報の供給源はいっぱいある。
Youtubeとかブログとか、サイトとか、もちろんテレビも。
情報があり過ぎるぐらい。
人の価値観は多様化してる。
それなのに古い考え方で生きていると、昔に固執しついていけなくなる。
そして、新しく出てきたものを批判する。
自分の常識の範囲内で、出来る出来ないを考えてあれこれ判断する。
そもそもその価値観は、正しいものなのか。
考えるべきだと思う。
生きているだけで、膨大な情報にさらされる現代。
ただただ外の常識を無意識のうちに吸収し、ブクブクと肥えていった価値観ではないだろうか。
人は社会的な生き物だから、それ自体は仕方が無いとしても、そもそものところから問いただすことが必要なのだと思う。
それが情報過多の現代で、本質を見抜き良質な情報を選び取ることが出来るようになるから。
この「選ぶ」力は、これから必須の力だと思うから。
常識を疑うことが、次なる自分の成長を生むと信じている。