私たちがスキルや技能を習得する上で、また学習する上で最初に教えられるもの。
その分野でのパイオニアたち、そのパイオニアを追いかけた人たちが初学者が効率的に技能や知識を身につけるにはどうすればいいかを考えた上で体系化されたのが「基本」です。
基本を学べば、無駄に時間をかけることが無くなります。
基本とは、物事を修める上で必要不可欠なエッセンスを教えてくれているのですから。
私たちが今普通に学んでいる基礎や基本は、先人たちが本当に膨大な時間と試行錯誤を経て築き上げてきたものです。全くゼロのところから体系化するのは、本当に大変なことです。右も左も何もかも分からない状態で、探り探りやらないといけないですから。
だからこそ、基本は大切なものなんですね。
先人たちの汗と苦悩の結晶ですから。
ただ、基本、基本と本質を追いかけずに具体的な手段ばかり追いかけていると、何が大切なことか見失います。
「Iラインは上下細身にすること」だけ覚えていると失敗することがあります。Iラインに整える意味は縦に目線を動かすことにあります。縦の強調をすることで、体型がすらっと見える効果を期待するものなのです。
それなのに、「出来るだけ細身を・・」と、ピチピチのボトムを履いてピチピチのTシャツを着るのは本来の目的を見失う行為です。所々自分の体型を悪目立ちさせ、相手の目線をスムーズに縦に流すことが出来なくなるからです。
歩いてはつっかかりそうになる、砂利と穴とコンクリートが入り混じるボコボコの田舎道のようなものです。思わず自転車で走りたくなるほど、コンクリートが均一にならされた都会の道路にするイメージで目線を動かさせなくてはダメなのです。
基本は具体的な手段を教えられることが多いと思います。
特に実践命のスキル系に至っては、抽象的で本質的なことを教えられる人が少ないと思いますし。
そのため、「なぜやるのか、何のためにやるのか」っていう部分に気づきにくい気がします。
だからと言って基本はなおざりにしていいものでは決してありません。
でも、基本は絶対では無いのです。
絶対守るべきものではないのです。
それが日本の「守破離」にも表れていますよね。
”守破離(しゅはり)は、日本での茶道、武道、芸術等における師弟関係のあり方の一つ。日本において左記の文化が発展、進化してきた創造的な過程のベースとなっている思想でもある。個人のスキル(作業遂行能力)を3段階のレベルで表している。
まずは師匠に言われたこと、型を「守る」ところから修行が始まる。その後、その型を自分と照らし合わせて研究することにより、自分に合った、より良いと思われる型をつくることにより既存の型を「破る」。最終的には師匠の型、そして自分自身が造り出した型の上に立脚した個人は、自分自身と技についてよく理解しているため、型から自由になり、型から「離れ」て自在になることができる。
武道等において、新たな流派が生まれるのはこのためである。
個人のスキル(作業遂行能力)をレベルで表しているため、茶道、武道、芸術等だけでなく、スポーツ、仕事、勉強、遊び等々、世の中の全ての作業において、以下のように当てはめることができる。
- 守:支援のもとに作業を遂行できる(半人前)。 ~ 自律的に作業を遂行できる(1人前)。
- 破:作業を分析し改善・改良できる(1.5人前)。
- 離:新たな知識(技術)を開発できる(創造者)。”
出典:Wikipedia
素晴らしいですよね。守破離の思想。
人間は誰一人として同じ顔や体型の人がいないように、物事の捉え方や感じ方も1人1人異なっています。だからこそまずは、万人向けにパッケージ化された基本を習得し、それから自分の身体感覚や価値観と今まで学んできたことをすり合わせてみる。そうして、自分自身と「技」を深く知り尽くし、基本から自由になり、柔軟に応用させていくことができるようになる。
これは常に頭の中に入れておくべき思想だと思います。
基本に絶対はありません。
個人向けではなく、一般向けにアレンジされています。
もちろん、超有用な手法であることに間違いありませんが、身を委ねすぎるのもいけません。
なぜなら、個人向けにアレンジするのはあなた自身なのですから。